DETARAME THOUGHTS

NO MUSIC NO LIFEな一般男性による音楽雑談

MUCCの『朽木の灯』は意外と明るいし『鵬翼』は意外と暗い

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1997年に結成されたヴィジュアル系ロックバンドMUCC。個人的には高校生の頃に彼らの音に出会い、そのバラエティに富んだ音楽性の虜に徐々になっていった。最初は雑多に感じたが、Korn直系のニュー・メタルから、ゴリゴリのフォークソング、アニソン、ダンス・ロック、パンク・ロックなど、カメレオンの如く様々なスタイルをこなしていくその音のパレットの鮮やかさ。気づいたら癖になっていた。今となってはファンクラブに入っているレベルだ。

 

MUCCに関する意見でよく目にするのは、所謂"昔はよかった"のような懐古主義的な批判だ。確かにMUCCの音楽性はキャリアを通して変化してきた。結成〜2004年までは"密室系"と呼ばれる、ダークな世界観を特徴とするシーンに属していて、音楽性もその陰鬱な空気を色濃く反映したものとなっていた。その後、彼らはまるで暗闇から抜け出したかのように、明るい曲や温もりを感じる曲もこなすようになり、そこから現在のカメレオン状態へと進んでいく。おそらく初期からのファンの多くはこの変化を"セルアウト"と捉えたのだろう。見方次第ではバンドのアイデンティティを捨てたと感じた人もいただろう。そのネガティブな世界観に共感していた人が離れるのも理解できる。

 

ただ、個人的には全くその意見には賛成できない。度合いは違えど、結成時からMUCCの曲調はバラエティに富んでいた。陰鬱な世界観が作品に統一感を与えていたが、ジャンル的な観点から見ると今とさほど変わらないバラバラさだ。少なくとも、彼らの音楽性が完全にガラッと別物にいきなり変化したことは一度も無いはずだ(問題作『カルマ』ですら、過去作にあった要素を昇華した作品だと思う)。

 

歌詞を見てみると、MUCCがある日を境に売れ線に走ったわけではなく、急に明るくなったわけでもないということがわかると思うので、軽く分析してみたいと思う。

朽木の灯 
朽木の灯

朽木の灯

  • アーティスト:ムック
  • 発売日: 2004/09/01
  • メディア: CD
 

初期の作品が持つ陰鬱な雰囲気は、バンドのリーダーであるミヤ(Gt)を中心に、メンバーが自身の実体験や心の闇を吐き出す形で作詞・作曲していたことで作り上げられていた。その方向性に一つの区切りがついたのが2004年。最高傑作と呼ばれることも少なくない名盤4thアルバム『朽木の灯』をリリースした年である。同作に関して、当時のインタビューでミヤは以下のように語っている:

完結したように感じるんですよ。今までの“けじめ”的な作品になったんじゃないかと思います。次では、良い意味で別の方向に開けていけたらいいと思って作ったアルバムです。先を見つめ直すという意味で、25歳なんで、ここで一つの区切りかなと。

ムック大特集、インタヴュー前半 | BARKS

同作は、初期の"暗いMUCC"の代表作で、果てしなくダークなアルバムのイメージを持っている人が多いと思う。実際、歌詞や曲調の雰囲気はかなり暗い。ただ、歌詞を掘り下げてみるとわかるが、"そこまで暗くない"のだ。確かに暗いのだが、インディーズ時代の歌詞にあった救いの無さがあまり感じられない。

濁空

僕ら
この濁った空の下
明日を待ち焦がれ
喉がちぎれそうになっても叫び続ける
理解ってもらえるまで
腐ったこの街で

幻燈讃歌

疲れきってしまったのだろう
誰かにすがりついたってかまわない
自分の無力さを知り途方に暮れて
その弱さかみしめて いつかまた立ち上がれ赤い目で

暁闇

雨に 呟いた
「明日、天気になれ」 

ガロ

さらば屈辱よ 心を欺いた日々よ
生きたいように生きていけるように

さらば支配よ 数ある不自由咬みちぎって
媚びず、 赤く、 振り返らず生く

悲シミノ果テ

あぁ 僕ら悲しみの果てで必死にもがき息をしている
あぁ いつか いつか 心から笑える日がくる
もう二度と戻れないから もう二度と戻れないなら
涙は意味を失った 悲しみは消える いつか 

モノクロの景色

両目を潰して空に祈りを
「明日へ繋ぐように」
モノクロの景色 塗り潰した未来
今、染め上げて 

どれも比較的暗め(雰囲気的な意味で)な曲だが、なんやかんや"前を向いている"歌詞となっている。インディーズ時代にあった"諦め"のような感覚が無い曲が多いのだ。 

また、個人的にこの"前向きさ"を一番色濃く表現しているのが『名も無き夢』と『朽木の塔』だと思う。前者はどこか切なさを感じるパンク調の曲で、本作で唯一"曲調も含めて"前向きな曲だと言える。全体的に雰囲気が暗いアルバムの中でこの曲が持つ役割はこの歌詞のフレーズに凝縮されていると思う:

目を閉じて 明日を想い描く
小さな名も無き夢を二度と、失くさぬように
空っぽの両手にいつかまた
抱えきれぬほどの大切な夢を、詩を
失うことで強くなれたのなら
さまよい歩く闇の荒野へ 射した僅かな光は
歩き出せる強さへと 

そして、アルバムのラストを飾る『朽木の塔』は初期MUCCの中でも上位に入るくらい絶望的な空気感を醸し出している、ダークな長尺曲だ。MUCCがメジャーデビューするタイミングで、逹瑯(Vo)がバンドの活動に対する裏切りと言える行動をとってしまい、バンド内の関係性が崩壊しかけたというエピソードがあるが、一言でいうとこの曲は逹瑯による謝罪の歌となっている。叫びに近い絶望的な嘆きの歌声が、アルバムのラストで心をどん底に落とすような印象を受けるが、以下のような歌詞を見てみると

生きてこの手で贖罪を、贖いを 

この"絶望的なMUCC"の代表曲である曲ですら意外と前を向いていることがわかる。

鵬翼 
鵬翼 通常盤 ボーナスCD付

鵬翼 通常盤 ボーナスCD付

  • アーティスト:ムック
  • 発売日: 2005/11/23
  • メディア: CD
 

『朽木の灯』で心の闇を吐き出しきり、5thアルバムの『鵬翼』から"光"が感じられるような表現をするようになったというのがファン、もしくはライト層の間での一般的な認識だと思う。実際、大まかな流れとしてはそのとおりだと思う。ただ、暗いアルバムとされる『朽木の灯』が意外と明るかったように、明るいアルバムとされる『鵬翼』も"意外と暗い"ということはあまり触れられていないと思う。

輝く世界

それでも今、僕達は生きていたいともがいてる
それでも今、僕達は生きていたいともがいてる
そして今 僕達は全てを受け入れて歩き出す
ここで今 僕達は生きてゆく もがきながら 

確かに前を向いてはいるが、こういう表現は前作『朽木の灯』に非常に近い。"明るい"というより、"暗がりから光へと抜け出そうとしている"感じ。

赤線

あぁ意味のない 悲しみに染まったこの街で
温もりさえ感じ取れずに 泣き続け消えてった命
無垢な心のままの亡骸に 微かに感じ取れた体温
さよならやっと安らげたんだね
今はただ 静かに眠って

心なき苦痛のはきだめ 東京 

こちらも曲調が非常に温かいため、哀愁的な印象が勝るかもしれないが、実際の歌詞はかなり暗い。特にこの抜粋した箇所からは(表現方法やニュアンスは違えど)インディーズ時代に感じられた"諦め"が感じられるのが面白い。

最終列車

僕等は 僕等は
どこから間違ってたのかな?
互いを傷付ける為だけに
僕等出逢ってしまった 

 前作ほど泥臭い表現や世界観ではないものの、こちらも決して前向きな曲とは言えない。

モンスター

俺達は何の為生まれ生きているのか?
無意味に増え過ぎた害虫のように 

ドストレートに刺さる言葉を選んでいるのが特徴的。

ココロノナイマチ

何が悲しいんだろう?泣けなくなった事かな。

朝焼けが 街 赤く染め上げて
くり返す日々、明日を叫んだ
嫌いな街の片隅で
少しだけ 今 笑ってみよう

 つばさ

僕等一歩ずつ確かに歩いてゆくんだ
傷だらけの詩を 今 翼に変えて 

前を向いている曲は確かにあるが、どれもどこか表現がひねくれている。少なくとも、本作でストレートにポジティブな世界観にバンドが切り替わったわけではない。歌詞を読んでいくにつれ、絶望的とされる前作以上に暗いフレーズがあったりするため、"『朽木の灯』が陰で『鵬翼』が陽"という関係性で片付けるのは難しいのではないかと思う。

 

結局何が言いたいのかというと、"MUCCは『鵬翼』でいきなり方向性を切り替えたわけじゃない"ということ。ある意味、2004年以降のMUCCはどのアルバムも転換期と呼べる内容だ。それは『朽木の灯』も『鵬翼』も例外ではない。昔からのファンも改めて初期MUCCを分析すれば、新たな視点を得られるのではないだろうか?

 

 

朽木の灯

朽木の灯

  • MUCC
  • ロック
  • ¥2444

鵬翼

鵬翼

  • MUCC
  • ロック
  • ¥2139